ゴリラがゆく9〜幕末偉人の墓を求めて〜
8月も終わりを迎えているにも関わらずこの暑さはなんでしょうか?コロナだけでなく熱中症も気をつけて歩いていかなければと思いながら、今回も前回の続きで品川あたりを紹介したいと思います。
【東海道・品川宿】
東海道五拾三次の宿場町である『品川宿』(東海道の第一宿)は、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と並んで、江戸四宿と呼ばれていました。
『京急新馬場駅』を海側に5分程歩いて行くと、旧東海道があります。道沿いに松が生えていたり、所々に昔の面影が残っており、周りの風景を見るだけでも楽しめると思います。
【気分は弥次さん喜多さん?】
歩き疲れてきたので、休憩がてら昼をどこかで食べたいと思っていた矢先、中々美味しそうなお蕎麦屋さんを発見!『宝喜家』。ちょっと新しめの店舗(移転してきたらしい)でしたが、ざる蕎麦650円という値段に惹かれて、お店に入ることに。
暑さで食欲が全然でない中、めちゃくちゃうまい。久しぶりにうまい蕎麦を食べた気がしてテンションも上がり、気分は十返舎一九の『東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さん』になったよう!もしかしたら、昔の江戸っ子や江戸に来た人も、蕎麦をすすって宿でお酒を飲んでってやっていたのかな?昔の人の軌跡を辿るのもなかなか楽しい
【岩倉具視のお墓】
そして、今回2つ目の目的地である『岩倉具視の墓』に向かいます。京急青物横丁駅から徒歩5分ぐらいの場所にある『海晏寺(かいあんじ)』にあります。
おそらく自分の記憶が正しければ、岩倉具視は日本史の教科書には、そんなに出てこないですが、幕末維新の時代では、Sランクの最重要人物と言っても過言ではないでしょう(西郷隆盛や桂小五郎、大久保利通ぐらい、位ではかなり上なのでもっと上かも)
幕末好きなら知らない人はいないと思うので、詳細は、省きますが、こんな重要人物のお墓は青山墓地とかにあると思っていたので、今の今まで気づかなかったです。結構大きなお寺で、入り口を入って左手に行くと墓地のゾーン。墓地を進んで行くと、一際大きな柵に囲まれた一帯が。ここか!いざ柵の中に入ろうと入り口を探すが、ない!どこにも入れる場所がない!まさか工事中か!と思ったが入り方をネットで調べても、どこにも載っていない!写真もない!結果、入らず外からの写真になってしまいましたが、おそらく、公家のお墓なので一般公開していないのでしょう。(徳川家のお墓も一般公開していない)かなり位の高い人ですから、しゃーないですね。
『岩倉具視のお墓』は見れませんでしたが、代わりといっちゃあなんですが、『児島惟謙の墓』があったので興味がある人は行ってみるのはいかがでしょうか?
※児島惟謙とは簡単に言うと、当時の最高裁判官で、大津事件(ロシアの皇太子ニコライが襲われた事件)で、ロシアとの関係悪化を防ぐために犯人を極刑にしろと政府から圧力があったが、きちんと法律に則って裁判を行い、法の独立を守ったというエピソードがある人です。※日本史の教科書に載ってる有名な事件であり、結局ロシアとは日露戦争が勃発しています。
この日の温度はやばかった。
ゴリラがゆく8〜幕末偉人の墓を求めて〜
前回、『三菱関東閣』『御殿山庭園』に向かい、東京で幕末を少し感じる場所を歩きましたが、今回はガッツリと向かって行きたいと思います。
【板垣退助のお墓(品川神社)】
品川駅から第一京浜を川崎方面にしばらく歩いて行くと、内陸側に木が生い茂った場所が現れます。
ここは『品川神社』と呼ばれる東海七福神の1社としめ大黒天を祀っている1187年創建の由緒ある神社です。境内に上がる階段の途中に『品川富士』と呼ばれる溶岩?でできた岩山を登ることができ、頂上から海が見えない(昔は見えたのだろう)景色を一望できます。
【階段を上がると本殿の裏にあるはずが?】
境内に上がると正面に本殿がありのですが、なんと今は工事中のため、仮の本殿が建てられているというちょっと残念な気がしましたが、せっかく来たので本命の『板垣退助の墓』は最後に取っておき、周りを見て行く、結構面白い神社がありました。
『阿那稲荷神社』という神社があります。本殿を正面に見て、右側に歩いて行くと、数基の赤い鳥居があるので、潜って行くとこの神社があります。
この神社のご利益は『一粒萬倍の御神水』でお祈りしながらお金にそそぐのも吉、また御神水を家に持ち帰って家・店の四隅にそそぐのも吉みたいなので、こんな時代に少しでも良いことが起きるように、500円玉にそそいどきました。
そろそろ暑いので、本命の場所に行こうと、看板や道を探すも、全くそれらしきものが出てこない。
場所違うのかなって思ったので、検索してみるがやはりここであってるし、探してもラチがあかないので巫女さんに場所を聞いてみると『本殿が工事中で、お墓までの道が塞がっているため、見に行くことができません』さらに『工事は年末までです』
それでは、残念ながらこのblogはここで終わりたいと思います。
ゴリラがゆく7〜幕末の偉人を求めて〜
今まで『湧水』『遊歩道』『緑道』等、自然に関わる場所を紹介してきましたが、今回は東京にある『歴史スポット』を紹介したいと思います。
気づいている人もいるかと思いますが、自分のブログのタイトル『ゴリラがゆく』は完全に司馬遼太郎の『龍馬がゆく』からとっています。なんで、龍馬がゆくにちなんで、今回は東京にある歴史のスポットを訪ねたいと思います。
【品川を歩く】
今回スタートするのは『品川駅』です。
品川駅高輪口を出て、15号を西に歩いて5分ぐらい行くと急に、多くの木々に囲まれた場所が見えてきます。これは『三菱関東閣』と呼ばれる三菱グループの迎賓館であり、三菱創業家の2代目である『岩崎弥之助』が建てた壮大な建物です。建築設計は当時、東京の様々な建物に関わった『ジョサイア・コンドル』です。(コンドルは他にもニコライ堂や鹿鳴館の建築設計も行っています)また、この地は元々は伊藤博文が所有していたと言われています。
残念ながら一般の開放はないので、中には入れませんが、写真で見た感じ『すごい』の一言ですので、
興味があれば検索してみてはと思います。
【御殿山庭園】
『三菱関東閣』の正面にある『御殿山トラストタワー』『東京マリオットホテル』のふもとにある『御殿山庭園』は、元々『東京ガス』や『日本航空』の会長を務めた実業家の『原邦造氏』が所有していた土地を、私邸は美術館、土地はホテルやマンション、そして『御殿山庭園』として開園したところのようです。
庭園内や近辺は非常に坂が多く、歩くのは結構しんどいですが、桜の木が植えられた道もあり、春は非常に気持ちよく散歩ができそうな綺麗に整備された町並みになっています。この辺りには小説『宮本武蔵』を書いた作家『吉川英治』の旧宅(今は一般の人が住んでる)があるようです。
散歩してて感じましたが、この辺りは、非常に起伏の激しい場所で、東京の他の街と同様に坂の多かった印象です。ただし、よくよく調べてみると非常に面白いことがわかったので、紹介したいと思います。
【黒船来航】
1853年に『代将ペリー』の乗るアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船4隻が浦賀沖に来航したのは、多くの人が日本史の教科書で習ったことだと思います。簡単に言うと『鎖国やめろ』ってことですが、この時、考えるから1年の猶予が欲しいと言っていったん追い返すわけですが、これはまずいと湾岸に砲撃用の『台場』と呼ばれる場所を急遽作ります。これが現在のお台場あたりです。そして、その時に『台場』を作るために使ったのが、この『御殿山庭園』があるあたり(御殿山、八ツ山)の土を切り崩して使ったようです。
中々歴史を感じれる場所ですね。東京は関東大震災や空襲で、多くの歴史的な建物がなくなっていますが、建物は残ってなくても、調べれば歴史を感じさせてくれる場所がたくさんあり、新たな発見がまだまだ出来そうです。
ゴリラがゆく6〜六郷用水〜
8学もあと1週間となりましたが、まだまだだ暑いですね。世田谷区岡本から更に南に歩いて、東急東横線多摩川駅まで来ました。
【六郷用水】
『六郷用水』は『東急東横線多摩川駅』から徒歩5分ぐらいの場所にある用水路で、用水路沿いの遊歩道が『東急多摩川線鵜の木駅』まで続いています。
江戸時代に『徳川家康』の命を受けた『小泉次大夫』が狛江から大田区まで開削した用水路です。
用水路としての機能は昭和20年に終えていましたが、昭和63年に遊歩道として整備されました。
遊歩道沿いの用水路は、コイが泳いでいたり、昔の用水路を思い出させてくれる『小さな水車』とただ歩くだけでなく、目で見ても楽しませてくれます。
【ザリガニとヘビ】
こういうとこに来ると、例のやつを探してしまいますが、やっぱりいました、『ザリガニ』が。あまり数はいなかったですが。しかし、この場所はザリガニだけでなく、『ヘビ』も出るようです。確かに遊歩道沿いは、自然が多いですがヘビがいるのかっていうような住宅街のため、ちょっと驚きました。
前回、府中市の『市川緑道』ではマムシが出ると看板がありましたが、ここは大田区(東京23区)。都心から離れてるとはいえ。
今回歩いてわかったのは、東京は自然がないと言いますが、全然そんなことはなく、ヘビが出るぐらい自然豊かなところであるということがわかりました。
遊歩道は非常に歩きやすいので、是非時間あれば皆さんも『六郷用水』に行ってみてはいかがでしょうか?